どこまでが自然なの?
どこまでが『自然』で、どこまでが自然ではないと疑問を持ったことは無いでしょうか?
検索して調べる人は、ほとんどおられないと思いますが、定義って難しいですね。
似たような言葉に、「自然体」、「ナチュラル」とか、「天然」、「自然物」とか、調べると、人の手が加えられていないものという形で、定義されているようです。
その逆の言葉に、「人工」ということで、人工物という形で、人の念とか、人のエゴが加えられてもののようなイメージがありますね。
僕は勝手に思っていることがありまして、正解ではないので、これを元に検索したり、調べないでいただきたいのですが、この世のものはすべて『自然』なのだと思っています。それは、宇宙を作った意識があるとすれば、それが作り出したものが『自然』だから。
だから、人間も自然の一部であるし、人間が作り出したものも、自然が作った自然ということになるかなと思うのです。あまり良い印象は無いかもしれませんが。
例えば、料理!料理をするのは人間ですから、人工物になります。それでオーガニック食材で作ると『自然』。添加物まみれだと『人工物』という乱暴な言い方もあると思うんですが、地球上にある物質や、人間が作ってしまった物質も、元々ゼロから人間が作ったものではなくて、天然の素材だと思うのです。元々、この世に存在しない物を人間が作り上げることもあるとは思いますが、原材料は自然ですね。
人間が存在しなかった時代に、地球の摂理に合わせて、植物や動物が進化したり変化したりして来て、その時に環境に適合するために物質を作ったり、体内で製造したりするものがあります。
例えば、科学者の方に乱暴な話だと怒られるかもしれませんが、タンパク質とかビタミンとかですね。ポリフェノールとかもそうかもしれません。ミネラルは地球そのものの鉱物とかになるのかな?と思います。
それらは、生命を維持するために必要なものとして出てきたもので、間違いを起こす頭脳を使って開発したりしたものではありません。それを『自然物』(栄養)として、体内に取り込んで健康を維持したりすることが出来るというものですね。
これを、食べる場合は、『自然』を食すっていうイメージです。現代では、目に良い栄養とか、肝臓に良い栄養とか、長寿の食べ物とか、そういった形で食べ物や栄養に対して定義付けしていることだってあります。自然って宇宙全体からミクロの世界まであるんだなって思うわけです。
自然を理解するのは不可能
人間の五感なども含めて、認識出来る領域は、いったい宇宙全体からしてどれくらいなのだろう?って思うことってありませんか?
例えば物質の世界!科学者がいろいろと物質を発見して何かに利用したり研究したりしていますが、凡人の私達には何のことだか分かりまりませんよね。その物質の話が本当のことなのかすら分かりません。ですが、勉強して研究してきた人の中には分かる人がいます。
ですが、その勉強して研究してきた人でさえも、宇宙全体からすればほんの少ししか分かっていないのかもしれません。目に見える範囲はとても小さいのです。電波を見たり感じたりするのは難しいですよね!テレビの電波が届いていると分かるのは、テレビのチューナーです。人間には体感がありません。人間が開発出来ない領域のチューナーもあるはずです。
宇宙全体を理解している意識体が存在するとしたら、人間は盲目の中で生きているように見えるかもしれませんね。
目で見て耳で聞いて、体で感じて、匂いや温度など、感じて情報を取り入れて判断することを、やってはいるのですが、存在を認識で出来ない情報を受け取って処理出来るかというと、絶対はありません。
それでも、不自由なく行きています。でも、自然の存在が無くなると、行きていくことは出来ません。人間は地球という自然に、宇宙という自然に100%依存して生きているからです。
ということは、当たり前は無いということになります。すべて生きさせていただいているということです。人間そのものも自然ですから、他人も自然です。他人に依存して生きています。だから、大切にしましょうという事です。
どんなに悪人で、どんなに意地悪な人でさえも、その人から生きるための何かをいただいています。それは、食料かもしれません。仕事かもしれません。成長できる”経験”かもしれません。認識でないだけで、多大な恩恵を受けてるかもしれません。
人間だけが、否定の心で苦しみます。
人間は、宇宙全部に依存して生きていることを忘れてしまいます。自分が生かされていることを忘れて、文句を言ったり、損得を訴えたり、お金に執着したり、自分と馬の合わない人や物を排除しようとしたりします。そうなんです!!人間だけが、否定の心で苦しみます。もしも、肯定の意識があったら、喧嘩もしないし戦争なんてしません。
ところが、自然は、すべてを肯定しています。すべての存在を包括しています。否定するのではなくて、無くなってしまったほうが良い時は、存在が消えるようになっています。生き物には生と死があります。太陽だっていつかは死を迎えます。ブラックホールもそうかもしれません。地震だって地球の浄化作用という人もいます。
例えば、環境に適応するように適応能力の高い子孫を残す仕組みがあります。でも、全く対応出来ないくらい環境が変化すると絶滅します。絶滅は否定ではなくて”肯定”です。悲しいことではなくて普通です。それでいいのです。
ただ、人間だけが、絶滅すると悲しくなったり悪いことが起きていると思ったりします。死を悲しみます。災害も苦しみます。努力が上手くいかないと落ち込んだりします。他人とは違う個性を持っているのに、比較して自分を否定したりもします。そうやって”心”を苦しめるのです。
でも、自然は、絶対肯定のように思えます。私だけの感覚かもしれませんから、話半分に読んでください。それで、このような自然に溶け込むように見習った場合、この否定癖は消えるかもしれません。なぜ、こんな事で悩んでいたんだろうと思うかもしれません。生きているだけで有り難いと思うかもしれません。
僕は、自然写真を撮るようになってから、そういった感覚を自然と向き合っている時は持つことが少し出来るようになりましたが、自然と向き合う時間が減ると、否定の心で苦しむことがありました。生きていることを当たり前だと勘違いしているのでしょう。生きている権利を持っている!とか、傲慢な感覚があるのかもしれません。ところが、否定の気持ちの裏は”経験”で、その”経験”が自己成長の手助けをしてくれると思ったら、とたんに心が軽くなりました。
心が軽くなるということは、自然に近い状態に戻ったのだと思うのです。
自然から学べることは多いのです。草の上に寝転がってもいいですし、キャンプでも、深呼吸でも何でもいいです。ぜひ!自然を感じる時間を作ってみてください。とても大切な時間となることでしょう。
自然と呼吸を合わせるといいんですよ♪
こんな文章を読んでいただける人は、数名もいないかもしれませんが、その人のために書いてみました。
いつも、読んでいただきましてありがとうございます。