生きることに必死の方へ

 

こんにちは。今回の文章は長いので、リンク作っておきました。

 

 

ご自身が人とは違うと感じたり、仕事をしても失敗ばかりだとか、覚えが悪いとか、手先が不器用でとか、何するにしても時間がかかりすぎるとか、人とうまく話せないとか、びっくりするくらい上手く出来ることもあたり、少しの刺激で凄いストレスを抱えて倒れてしまうとか、みんなが感動してみるのに全く感じなとか、手足が不自由だとか、数えたらいくらでもありますね。

でも、一呼吸おいて、そんな無理をして行きていくのはどうだろうか?と立ち止まったり、もっと努力してもいい部分が発見できたら、そちらに力を入れてみるとか、何にも考えないようにするとか、何もしないことを選ぶとか、信頼できる人に自分の事を聞いてみるとか、物事の捉え方を変えてるような本に影響されてみたりだとか、何でもやれそうなことをやってみたらいいのだと思います。もの凄く謙虚に生きてみるととか、偉そうに生きてみるとか、何かやったら反応が起きますね。

記事を書いた現時点で、いろいろな本を読んでみたりして、自分の再認識を行ってみて、おそらく、この記事から、本格的に何かをお伝え出来るのではないかと思っています。(この記事はホームページ用記事にしてあります。)

落ち着いた生活様式の動画を撮って貼り付けてみたり、今回のように文章で解説してみたりです。以前記事は、ブラックリスト(笑)になるのかなって感じています。

それは、一見聞こえが良さそうですが、”心”で書いているからです。(記事の中では、”我”とか”エゴ”と書いていたと思います。)本来は出来るだけ”心”を省いた状態で書くことがポイントになってくるような気がしています。

もちろん!自分のためだけに書いている部分があって、”ありのまま爺さん”に登場してもらったりして手助けしてもらっているわけです。

その中で、インターネットを使って公表している分けですから、誰か一人でも気持ちが楽になってくださったらという思いもありますが、”自分の”心”と”他人の心”がぶつかり合う現象が起きますので、どうもスマートに行かないのです。”違う”というサインが降りてくるのです。

 

それは、こちらのサイトのテーマである”Calm way of life”は、生き辛さから来る一つのテーマとして付けたサブタイトルのようなものですが、とても嬉しいイメージを感じています。

これは、ゆったりした空気の中で行きていきましょうというイメージや行動だけはなくて、頭の中の話になります。多分ですが、神様から肉体と心がある人間という器に、魂を分け与えてもらって、いろいろな経験が出来るような地球に物質化させてもらっているので、いただいた肉体や心や性格などもそうだと思うのですが、神様から配られたカードを最大限に使い切るために、落ち着いて行きましょう!!というようなイメージなのです。

このサブタイトルが、メインタイトルの「自然CLUB」という名前にした内容でもあるわけですが、”キーポイントになる経験”は、何度も繰り返すことがあって、それだけ人は簡単には変わって行かないのかもしれません。あくまでも想像ですが。

 

そこで、”生きることに必死の方へ”ということで、そんなに生きることが大変なのかという話になっていきます。

また、いずれ徐々に私自身にある特徴を踏まえて解説していく時が来ると思っていますが、それもきっかけの一つとして、”生きることに必死の方”に対して、”心の場所”や”心の荷物”の存在を絡めて説明してみたいと思います。こちらは、記事を書いた現時点の話ですし、正解不正解は分かりません。

生きるのに必死だというのは、きっと、頑張っている方なのだと思います。自分の実力以上を常に望んでいるとか、いろいろな人と比べて出来ていないことを探して、さらに乗り越えようとかしているのかもしれません。人格者を目指しているのかもしれません。

さらに上を目指している理由は、”劣等感から来る”のかもしれません。周りの期待に応えたいという気持ちなのかもしれません。

もしも、必死に生きることに充実感があり、楽しみの一つであれば、その方の魂が望んでいることかもしれませんし、そういう気質を持って生まれてきておられるのかもしれません。

経営者は、人格者でないと務まらないと思っていた時期がありましたが、売上の数字ばかり見ているだけでも経営出来る人もいますし、人格者になっていかないと生きる資格が無いというのも真実では無いような気もしているこの頃です。

 

心の場所について

 

人には、必ず見えませんが、”心”が存在すると過程して話を書き進めたいと思います。

では、”心”とは、どこにあるのでしょうか?”心”の存在は一体何のためにあるのでしょうか?考えたことがある方は少ないかもしれませんし、”心”について書いてある本はたくさんありますが、”心”がどこにあるとか、”心”は何のために存在するのかは、あまり解説してある本など読んだことがありません。

心理学や、経営学の本には、”心の使い方”について書いてあります。こういう”心”は、構造を持っているから、このように分類するとこうなります・・・みたいな感じです。タイプ別に分けたりして、自分は○○タイプだから、このような癖があるとか判断材料にしたりするとは思いますが、”心”は何のために存在するという切り口が書いてある本は忘れているだけかもしれませんが、読んだことがありません。瞑想を解説している本などには書いてあるかもしれませんし、すべてを調べ上げているわけではありませんので、そこはご勘弁を。

心の構造を解説してあるのが、“心理学”なのだと思いますので、この悲しみや寂しさの根源に対して解説してあったり、劣等感に対しての根源など解説することで、自分をコントロールする方法や自分では気付かなかった領域の発見など役立つかと思います。

ポジティブシンキングが良いだとか、夢を叶えましょう!とか、お客様の心掴む話だとか、感情に訴えかける何かや、自己コントールや、より長所を伸ばすためにはどうすれば良いかなどです。世の中に求められていることを仕事にすると、その仕事は発展する可能性が高くなるので、お客様の深層心理を勉強したりするのかもしれません。

ところがです。

そんな便利な本は、本屋に行けばいくらでもある時代になってきましたし、インターネットで購入も可能です。Blogなどに書いている人は無数におられます。ただ、”心”の場所や役割が分かりません。下記に、記事を書いた現時点の想像している図形を書いてみたいと思います。

 

 

はい。このように、”心”は、肉体の外を覆うようになっているような気がします。あくまでもイメージです。色などは関係ありませんし、見えない世界だから”場所”というものは存在しないのかもしれません。正しいか間違っているかは、よく分かりませんが、何となくそう感じるのです。

感情の起伏が起きると、”空気が変わった”と感じるかと思いますが、怒っている時は、腫れ物にも触るとかいいますが、人の体を触ろうとしても怒りの空気が体の外側を覆っていて、近づけないという説明だと分かりやすいでしょうか?

それから、”オーラ”が大きいとかいいますけど、体の外を覆っているように見えるらしいのですが、これも”心”を表現したものではないと思っています。活発なエネルギーを出しているとパワーみなぎるような空気が発せられるというイメージだと伝わりますでしょうか?

だから、”心”は、体の外側を覆うように存在するのでは無いかと思っています。ついでに”カルマ”という言い方すればよいのかもしれませんが、過去生の思いだとか、経験だとか、何かを持っていると思うのですが、それも、所在地は”心”ではないかと思います。よく分からないけどどうしても気になるものがあるとか、○○が好きでたまらないとか、それは理由は分かりませんが、何故か感情が動きます。

それから、”性格”や”考え方の癖”なども、所在地は”心”だと思うので、体の外側を覆うように存在しているのではないと思います。

”心”は、心臓の中だとか、”性格”は、頭の中だとか、いろいろあるかと思いますが、どうも納得行きません。

そして、”知識”も、勉強して”脳”に記憶させていくのかもしれませんが、個人的には記憶するのがとても苦手ですから、脳で覚えられる知識量では少なすぎるのではないかと感じています。

経験をして体で覚えた○○○というのがあると思いますが、こちらは、やはり所在地は”心”であって、体の外を覆うように存在するのではないかと思います。よく、年令を重ねた時に出てくる雰囲気がありますが、その雰囲気こそ、経験を積んで出てくるオーラみたいな雰囲気みたいなもので、何となく個性としてや、人柄としてなどなどに現れる要素なのではないかと推測しています。

 

心のお荷物について

 

そして、今回のテーマである”心の荷物”につてのお話になっていきます。

どんどん知識を身に着け、やらなければならない方程式を知り、自分の欲を増やしてもっともっとと高くを望んでいくことや、お客様に対しての礼儀の執行、人付き合いでの常識と言われるような行動の必然性など、社会人としていろいろな事を身に着けていかないと成り立たないような風潮があるかもしれません。

特に日本人は細やかな配慮をする国民性があり、それが特徴でもあり長所のように見えるのかもしれませんが、日本人全員が出来ると言えばそうでもない。海外に行けば、日本人の常識は全く通じないことも多々あるかともいますが、国内にいるとそれが何なのか分かり辛いかと思います。

ということは、知らず知らずして、心の荷物が増えていく状態なのです。別名”当たり前”とか”常識”だったり、”ねばならない”だったりします。”当然ですよね!”と表現されることもありますが、その言葉の中に”相手をコントロールする”という意識が入ってると、苦労が増えるのかなと感じています。冗談で”当たり前じゃん~”とか使うことがありますが、ユーモアのイメージになってくるような気がしますし、意味的には”○○でなければならない”とは別の意識が入っているように感じます。ただ、活字にすると人それぞれに受け取り方が違うので、不謹慎なと受け取る人もいることでしょう。

話が硬いですか? 意識的に固く書いています。だって難しいんですから(笑)

心の荷物は、いろいろな作用を起こします。特に社会に入ると、”義務感”や”責任感”、それから、”正義感”などなどですね! 一見カッコよいものかもしれませんが、生き辛さへ直結することもあるようです。

例えば、仕事の場合だと上司という立場になってしまって、責任感から部下を叱咤激励したとします。普通は心に響いて元気になって部下がやる気を復活すると思いませんか?逆に、それでやる気が無くなることだってあるのです。そこまで怒らなくても良いんじゃないかとか、話の意味が通じなかったりすることがあります。それでも良かれと思って自分の心の荷物を使おうとする。思い込みから来るのかどうか分かりませんが、望む結果を得たいのは自分自身であって相手を見抜いているわけでありませんから逆効果だって起きるわけです。

例えば、病気になってしまった人を助けるために、いろいろな安全な治療法を教えてあげる行為も、実は本人が望んでいない可能性だってあります。別の治療を計画しているのかもしれませんし、他の人の話の方が望みなのかもしれません。

 

では、どうすればよいのかと言いますと、善悪は分かりませんが、ご自身の心の荷物があるのかどうかをチェックすること。方法は、”○○でなければならない”と思っている事を探したり、自分の能力以上の事をご自身の本心はどれくらい望んでいるか?です。

普段一生懸命だと、このような文章は読みませんね。きっと挫折した時や、これ以上はダメだと思った時に本心をチェックしてみてください。

”義務感”や”責任感”、それから、”正義感”を持つことが、正しいとか間違いだとかいうことではなくて、持っている方が生き方としては素晴らしいと言うのでは無く、持っていない人は人間として失格だとか、信用されないというのでもありません。人間としての器の判断材料にするわけではありません。除々に書いていきますが、心の荷物が壁のようになってくると解説すれば良いのか分かりませんが、荷物の存在が邪魔することがありますよと伝えようかと思っています。

本当の自分は何を望んでいるのかが分からないのです。今回、描いた心の位置ですが、心はコロコロと変化します。よく、本心は?ということで、本当に思っていることは何ですか?って問うたり、自問自答したりすることがあるかもしれませんが、”心”ですから、変化してしまいます。やっかいです。

性格も洗脳的に作り上げてしまったのかもしれません。カルマだって何が付いているのか知っている人はほぼいません。過去生の記憶がある方もいますが、多くはいません。考え方も癖になっていたり親の考え方を引き継いで真似しているだけだったりしますから、気が付きにくいのです。心が感情を表すという事だとしたら、どんどん変化するし、快楽もありますが、苦痛もあります。どんどん変化しますから、追いつきません。

しかも、”脳”の構造は人それぞれで、感知するジャンルの得意不得意や、言葉と図形の連携などの連携の能力差、会話内容の記憶容量や、視覚からの記録容量など、個人差が大きいこともあります。視力が良いとか悪いとかと同じです。勉強していないのに学校の成績が良い人とかいませんでしたか?意味が分かりませんでしたよね(笑)でも、出来ちゃうんです。普通って基準が分からなくなりますね。

こんなに不確定な”心”に縛られているから、生き辛いことが大量発生するのだと推測しています。

でも、ドラマを観たり、小説を読んで心を動かすというレジャーもありますから、人生を楽しむために”心”を使うことだって出来ていますね。

 

では、”魂”は、どうでしょうか?”心”のように動くとか不確定の要素が無いように思えるのです。美しい光の塊、愛の塊のようなイメージです。

すごく純粋なタイプの方っておられますが、心が綺麗というのではなくて、心をスルーしているような感じがします。そうです!”心フィルター”を通さないというイメージです。ということは、

”魂”のある場所は、”心のフィルター”に閉じこまめられてるという事なのです。断定的に表現しましたが、肉体を動かしているのは、”魂”の存在だと思うのですが、心に閉じ込められて、肉体を動かしてるだけの役割になってる人が多いって事です。

 

そうです。心の荷物って、”心”そのものだっていうことです。

”魂”が直接だったら、分魂(わけみたま)って言われていますが、神様からいただいたもの。命は、自分のものではなくて神様からいただいたものという考えです。考えに縛られるのはどうかと思いますが、事実のような気がしています。

だとしたら、お荷物は、”心”なのです。”心”を消してください!とは言いませんが、”心”って響きがいいので美しいもののように感じるかもしれませがん、お荷物なのです。だから、”心”というフィルターで物事を観る癖を減らしていくと世界が変わって見えてくるはずです。だから、”義務感”や”責任感”、それから、”正義感”を持つことが、正しいとか間違いという話は、論点が違うということなのです。

 

もしかしたら、”心”の存在が人間を複雑にしているのだとしたら、この”心”の存在を個々がそれぞれに解明していけば、この世が変わっていくのかもしれませんね。

これが、こちらのサイトを立ち上げた時に付けたサブタイルと的な存在の「落ち着いた生活様式・Clam way of life」という事になります。

 

心のお荷物を無くす方法

ということで、心の荷物を減らす、無くす方法があれば、いいですよね。

一つは生きる”動機”を問うことを繰り返すことかもしれません。生きる”動機”を問い続けると心が作動しにくくなってきます。心のフィルターを通さないようになってくと、何かを見てしまうかもしれませんね。考えることや想像することを踏み台にするってイメージです。

実は、現在勉強中ですので、もしも、知ることがあったら記事にして行こうと思っています。それ以外は、「落ち着いた生活様式・Clam way of life」を感じるイメージ映像や、感動した本など、お届けしようと思っています。

余談ですが、肉体が死んでしまったらきっと、魂だけになるかと思ってましたが、どうやら”心”もセットのままような気がしています。それは、”霊”の世界がどうやらあるらしいからです。よく分かりませんが天国とか地獄とかっていうのかもしれません。

”霊”の世界に行くと、想念がうじゃうじゃしているようなイメージがあるのですが、死んでも地球上となんら変わらないと伝えている方が多くて、もしかしたら”心”をセットにしたまま死んでしまったから、”霊”の世界に行くのではないかと思っているのです。それが良ければそれでもいいのですが、どうでしょうか?霊の世界が見えるわけでもないので、あくまでも推測で書いています。

私はどうも何かが違う。欲で喧嘩したり、想念で人を操作したり、何かが違うような気がします。

そして、魂は、神様からのいただきものだとすれば、魂を磨くとか、魂を鍛えるとか、宇宙を作った神様よりも力があるとは思えず変だなって感じます。それよりも”心”の方が問題を起こしている(複雑にしていて、盲目状態にしている)ような気がするのです。

 

ちなみに、「引き寄せの法則」ってありますが、あれは、”心の領域”、そう、”霊”の領域にアクセスして、想念を使っている方法のような気がします。だから上手く使えば夢が叶うように見えます。常に心をワクワクさせる方に向かせてれば、ワクワクした想念のままが現実化します。常にどんよりしていたら、どんよりしたままが現実化するだけです。ただ、それを叶えるのが本当の望みですか?と望む内容の動機を問うことがポイントになってくるのかな?と感じています。

”幸せ”とは、自分の”心”を満たすこと、想念通りになることなのだろうか?現実世界を生きるにはとても重要なことかもしれません。ただ、必ず平和でなくなるというか、何かとぶつかる。”幸せそう”にしていると、妬む人が現れたり、上手く行ってると邪魔する人が現れたりって事ですね。全くそういう経験が無い方もおられるかもしれませんが、どうもあるようなのです。逆の望みが叶うって言ったら良いのでしょうか?

結局は、”心”のゲームをしているだけで抜け出せないようなイメージを感じています。だから、何度も輪廻転生するのかな?なんてイメージを膨らませて想像しています。何一つ検証しているわけではありませんが、そんな気がするのです。

”ゆるます”というのも、一つのキーワードになりそうですし、ある一定の領域までは行けそうです。

あまり努力せず、心をスルーしてみたいなって思っています。それも、”心”が考えてる欲望なのかもしれません。まだまだですね。

 

最後まで読んでくださり、感謝いたします。

今後とも、自然CLUB・落ち着いた生活様式・Clam way of lifeをよろしくお願いいたします。

椹木喜雄

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